大阪の東南に位置する平野は、大阪市内では最も古く形成された町として知られています。平安時代より交通の要所として発展し、戦国時時代には「環濠自治都市・平野郷」の名で知られる集落が完成しました。集落の周りには二重の堀と土居がめぐらされ、外敵の侵入を防いだと言われており、堺と並ぶ自治都市として栄えました。また、集落の周囲13箇所に木戸口を設け各地への街道が通じ、交通の要地としても大いに栄えました。大阪夏の陣では、徳川家康の本陣と定められたことからも、その自衛力の高さが分かります。また、江戸時代には、河内国の綿花の集積地として栄えたため、現在、綿花が平野区の花として定められています。平野郷は明治後の市町村制により平野郷町となり、在郷の中心都市として存続しましたが、大正期に入ると、工業化と都市化が急速に進展するようになり、1925年4月1日には平野郷町は大阪市に編入されました。
住所
大阪府大阪市平野区
アクセス
Osaka Metro 谷町線「喜連瓜破駅」から徒歩10分